庭が晴れると心からわくわくできる。身近な所に目を向けよう

緑の草むらに木の陰が映える晴れた日。
「ニワハレ」の名称は

「庭晴れ」

「庭が晴れればいいな」
という想いから名付けました。

庭とは、自分の身近な手の届く範囲。

自分の身の周りのものごとや
謎や疑問に思うことなどが

ひとつでも、このブログを読むことで
すっきりと晴れればいいなと思います。

日々が何事もなくつまらないと感じる人へ

人は日々、何かしらの事象に出会い
過ごしています。

そのひとつずつには理由があり、
何気なく見聞きし、感じているもののなかに
さまざまなモノが隠れているのです。

 

それを何事もないかのように見向きもせず
そのまま通り過ぎてしまうか、
あるいは気にして立ち止まって見てみるのか。

たったこれだけの差で、
見える世界は違ってきます。

 

少し視点を変えるだけで
考え方も答えも、変わることがある。

日々の溢れる情報の中でたったひとつでも、
立ち止まって興味をもつことで

新たな発見があり、楽しみがあるのです。

楽しいこと、面白いことを見出すのは自分

「なにか面白いことないかな~。」

面白いことって、
なかなか空からは降って来ないものですよね。

でもこれ、昔の私はよく思っていました。

なにか面白いことが
“向こうから”やってこないものかな~、と。

 

なにが楽しいか、なにが面白いのかは
自分で感じるもの。

つまり、自分が求めるからやってくる。

今はこれに気づいたので、
なにかしら気になると近づいて見てみたり、
そのことについて調べてみたりしています。

するとそこにはやはり、
面白さや楽しさがあるのです。

ノスタルジックな記憶と想い

ノスタルジックとは、
懐かしさや大切なもの、それらへの憧憬。

 

子供の頃は、なんでも不思議に思ったり、
すぐに手を伸ばして触ってみたり。

なにかを見つけると、わくわくしながら
遊んでいたように記憶しています。

 

大人になると、わくわくすることって
あまりないんですよね。

というより、子供の頃と比べれば、
わくわく感の強さが違う気がします。

 

大人になると、眼の前のことや周囲のことで
なにかしらの荷物を背負って構えてしまう。

純粋に面白そうで楽しそうで、わくわくする
ことを、素直に受け入れられなくなり、
なにかしら理屈を並べたくなるものです。

しかし理屈を並べ過ぎると、
屁理屈をこねているのと同じなのですよね…

無条件に楽しむ、
ということができなくなってしまうのです。

 

そんなところからは早く脱却して、
子供の頃の自分をお手本に、
ワクワク感を思い起こしていきたいものです。

「庭晴れ」は縁側のイメージ

「庭晴れ」は縁側のイメージでもあります。

縁側と庭。

 

庭が晴れれば、縁側はぽかぽかとして
とても居心地のいい場所になります。

日向ぼっこをしながら本を読んでもいいし、
眠くなればそのまま昼寝もしてしまう。

そんな日常の中のひとつのゆるみ。

 

心がほぐれると、ちょっとしたことに
興味を持てるようになる。

何気なく不思議に思っていることなどを
すこしでも解消してみると、
そのぶんだけ見る世界が変わります。

するとまたその先に、
新たな興味や楽しみを見つけるのです。

それをひとつずつ積み重ねていくと、
さらに世界が変わっていく。

 

自分自身も周りの人にも、心から楽しんだり、
ワクワクしたりしてほしい。

すこしずつでも、モノの見え方や考え方も
ほぐれるといいな~と思うのです。

日常に、ゆるさとワクワクは大切です。

 

「ニワハレ」は
そんな場所にしていきたいのです。

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