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道草を食うという言葉の語源。子供にそのまま当てはまりそう

この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。

道草を食うのは人間だけではない
小学生の頃、よく道草をしながら
学校から帰っていたものです。

学校の先生には、
「みちくさしないで帰りなさいよ~」
などと言われてはいましたが…

真面目に聞いている子はどれほどいるのか。

小学生なんてみんな、
遊びながら道草しつつ帰るものですよね。

 

この「みちくさ」という言葉。

みちくさをしない=寄り道をしない
という意味ですが、

正しくは「道草を食う」という言葉。

この言葉を使うたびに思うのですが、
そのまま捉えるにはなんだか変な言葉です。

 

道の草を食う。
これが寄り道ということになる。

つまり、
「寄り道しながら道の草を食べる」のです。

 

「道草を食う」の語源と意味

「道草を食う」という言葉。

じつは、この言葉の由来は
ほとんどそのままです。

道草を食うていたのは、馬。

 

馬が立ち止まって、
道ばたの草を食べてしまう。

少し進んでは食べ…進んでは食べ…

ということを繰り返すと、
進むのに時間がかかってしまいます。

 

これではなかなか目的地まで
たどり着けないですよね。

何かしらの約束をしていたならば、
それこそ時間に間に合わないし
いつたどり着くのか見当もつかない。

そんなことから、

  • 目的地に向かう途中で
    他のことに時間をかけてしまうこと。
  • 寄り道をして時間を費やしてしまうこと。

このようなことを「道草を食う」
と言うようになったようです。

まさに実録「道草を食う」

今思えば子供の頃は、
この言葉を真の意味で
実行していたように思います。

小学生の頃の通学路は、
行きは集団登校で、帰りはそれぞれ
個別に帰るというものでした。

なぜか登下校で通る道が違い、
登校時は小高い山側の道を通り、
下校時は低い河川ぎわの細い道をたどって
帰っていたのです。

 

その道は舗装されて
アスファルトが敷いてあったとはいえ、

川までの間の部分は土なので、
多くの雑草が生えていました。

帰る道は小学生の足には長く、
だいたい手持ち無沙汰。

そのままただ、まっすぐ歩いて帰れば
いいだけなのですが、

だいたいウロウロ遊びながら帰ります。

その帰りながらの遊びのなかで、
草を食べ…てはないけれども
似たようなことをしていたのですね。

 

それはこんなことから。

一緒に帰っていた友達が言うわけです。
「この草ね~スイカの味がするんだよ~」

みたいなことを…。

子供ってわけわからんことしますよね。

当時こどもだった私も、
すんなりとその口車に乗ったわけです。

それは細くてスッと長く伸びた草でした。

 

その草は茎が節ごとに別れていて、
上の茎を引っ張ると簡単にすっと
抜けるようになっているもの。

その抜いた茎の先を噛むと、
スイカの味がするんだという…。

 

その結果はどうかというと、
たしかスイカの皮の近くの白い部分…
みたいな味がしたかなぁ~と思い出します。

なんか少し青臭みのある感じね。

今ではその友達が誰だったのかさえ
わからないのですが…。

子供ってそんなものですよねぇ。

子供の道草

子供だった頃が遠い昔の今では
考えられないことですよ。

そのへんの草を抜いて口にするとか…。

同年代の方々にはきっと
身に覚えがあることと思うのですけどね。

 

その辺の花の蜜を吸ってみたり、
[関連記事:蜜が吸える花]

ピーピー豆と呼ばれる
雑草にできる豆のフサを、
少し加工して口に当てて笛にして吹いたり。

 

ドクバナと呼んでいた黄色い花の茎を
笛にして吹いたりとか。

ドクバナって名前なのにねぇ…
口にして吹くとか、どうなんだよと。

ほかにもいろいろな草で遊んでいましたね。
[関連記事:雑草遊び]

 

子供ってあまり考えなしに、
興味があれば触りまくります。

そのへんの草花は何気なく触れるし。
そのへんの虫とかもけっこう平気で触る。

高いところから飛び降りるし、
水場で飛び込みもやる。

得手不得手は当然あるにしても、

まぁ怖いもの知らずですよね。

 

子供ってすごい。

「無謀」という称号を与えたい。

 

しかし逆に、何事にも躊躇してしまって
思うように遊べなくなってしまった
大人たち。

外で遊ぶ場所も限られてしまっている
現代の子どもたちを思えば、

いいことでもありましたよね。

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