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小学生の頃、よく道草をしながら
学校から帰っていたものです。
学校の先生には、
「みちくさしないで帰りなさいよ~」
などと言われてはいましたが…
真面目に聞いている子はどれほどいるのか。
小学生なんてみんな、
遊びながら道草しつつ帰るものですよね。
この「みちくさ」という言葉。
みちくさをしない=寄り道をしない
という意味ですが、
正しくは「道草を食う」という言葉。
この言葉を使うたびに思うのですが、
そのまま捉えるにはなんだか変な言葉です。
道の草を食う。
これが寄り道ということになる。
つまり、
「寄り道しながら道の草を食べる」のです。
「道草を食う」の語源と意味
「道草を食う」という言葉。
じつは、この言葉の由来は
ほとんどそのままです。
道草を食うていたのは、馬。
馬が立ち止まって、
道ばたの草を食べてしまう。
少し進んでは食べ…進んでは食べ…
ということを繰り返すと、
進むのに時間がかかってしまいます。
これではなかなか目的地まで
たどり着けないですよね。
何かしらの約束をしていたならば、
それこそ時間に間に合わないし
いつたどり着くのか見当もつかない。
そんなことから、
- 目的地に向かう途中で
他のことに時間をかけてしまうこと。 - 寄り道をして時間を費やしてしまうこと。
このようなことを「道草を食う」
と言うようになったようです。
まさに実録「道草を食う」
今思えば子供の頃は、
この言葉を真の意味で
実行していたように思います。
小学生の頃の通学路は、
行きは集団登校で、帰りはそれぞれ
個別に帰るというものでした。
なぜか登下校で通る道が違い、
登校時は小高い山側の道を通り、
下校時は低い河川ぎわの細い道をたどって
帰っていたのです。
その道は舗装されて
アスファルトが敷いてあったとはいえ、
川までの間の部分は土なので、
多くの雑草が生えていました。
帰る道は小学生の足には長く、
だいたい手持ち無沙汰。
そのままただ、まっすぐ歩いて帰れば
いいだけなのですが、
だいたいウロウロ遊びながら帰ります。
その帰りながらの遊びのなかで、
草を食べ…てはないけれども
似たようなことをしていたのですね。
それはこんなことから。
一緒に帰っていた友達が言うわけです。
「この草ね~スイカの味がするんだよ~」
みたいなことを…。
子供ってわけわからんことしますよね。
当時こどもだった私も、
すんなりとその口車に乗ったわけです。
それは細くてスッと長く伸びた草でした。
その草は茎が節ごとに別れていて、
上の茎を引っ張ると簡単にすっと
抜けるようになっているもの。
その抜いた茎の先を噛むと、
スイカの味がするんだという…。
その結果はどうかというと、
たしかスイカの皮の近くの白い部分…
みたいな味がしたかなぁ~と思い出します。
なんか少し青臭みのある感じね。
今ではその友達が誰だったのかさえ
わからないのですが…。
子供ってそんなものですよねぇ。
子供の道草
子供だった頃が遠い昔の今では
考えられないことですよ。
そのへんの草を抜いて口にするとか…。
同年代の方々にはきっと
身に覚えがあることと思うのですけどね。
その辺の花の蜜を吸ってみたり、
[関連記事:蜜が吸える花]
ピーピー豆と呼ばれる
雑草にできる豆のフサを、
少し加工して口に当てて笛にして吹いたり。
ドクバナと呼んでいた黄色い花の茎を
笛にして吹いたりとか。
ドクバナって名前なのにねぇ…
口にして吹くとか、どうなんだよと。
ほかにもいろいろな草で遊んでいましたね。
[関連記事:雑草遊び]
子供ってあまり考えなしに、
興味があれば触りまくります。
そのへんの草花は何気なく触れるし。
そのへんの虫とかもけっこう平気で触る。
高いところから飛び降りるし、
水場で飛び込みもやる。
得手不得手は当然あるにしても、
まぁ怖いもの知らずですよね。
子供ってすごい。
「無謀」という称号を与えたい。
しかし逆に、何事にも躊躇してしまって
思うように遊べなくなってしまった
大人たち。
外で遊ぶ場所も限られてしまっている
現代の子どもたちを思えば、
いいことでもありましたよね。